最近は、羽根つきや独楽回しなどを行う子供をほとんど見なくなりました。
しかし、今も残る伝統的なお正月の遊びはたくさんあります。
ここでは、お正月の遊びの意味と由来などについてご紹介します。
かるたは女性の教養の1つだった

昔は、お正月に家族でかるた取りを楽しんでいました。
かるたと言えば、百人一首かるたか、いろはかるたが有名です。
特に、百人一首かるたは全国でかるた取り大会が開かれるなど、現在でも人気があります。
実は、明治時代になるまで、百人一首は女性に必要とされる教養の1つと考えられていました。
百人一首かるたは、百人一首を覚えるために生み出されたものとされています。
そのため、豪華な肉筆かるたは高貴な家柄の女性の嫁入り道具の1つだったそうです。
羽根つきの羽根と羽子板の意味

羽根つきは、羽根を羽子板で打ち合う遊びで、室町時代から行われています。
江戸時代になってから流行りました。
羽根の先に付いているのは無患子(むくろじ)という木の実です。
子が患わないという意味があるので、羽根つきは厄除けとして行われるようになったそうです。
さらに、無患子の実は豆に似ていることから、摩滅(まめつ)となり、厄払いの意味が込められているというのです。
羽根を打つのを失敗した人の顔に墨を塗っていきますが、その顔をみんなで笑って厄を落として幸福を招こうという意味が込められています。
また、羽子板は女の子の縁起のよいものとして扱われてきました。
それは、羽根つきで使う羽根が害虫を食べるトンボをイメージさせ、悪い虫がつかないと考えられたためです。
そして、悪い虫がつかないように女の子に贈られるようになったのです。
凧揚げの由来と意味!イカのぼりと呼ばれていた時期も

凧揚げはもともとイカのぼりと呼ばれていました。
凧揚げは平安時代に中国から伝わったものなのですが、その時は凧に足が付いていませんでした。
安定性を増すなどの理由で足が付けられたのですが、その形状からイカのぼりと呼ばれるようになりました。
江戸時代になると、一般庶民もイカのぼりを行うようになりました。
しかし、人に落ちるなどしてけが人や死者が続出する自体となってしまいました
そこで、幕府はイカのぼりを禁じたのですが、庶民はこれは凧揚げだと言って言い逃れたそうです。
ここから、凧揚げと呼ばれるようになったと言います。
凧揚げは、江戸時代には男の子の誕生祝いと健康祈願のために行われるようになりました。
高く揚がるほど、神様に願い事が届いて健康に育つと信じられるようになりました。
独楽回しの意味

独楽(こま)は、奈良時代に朝鮮半島の高麗から伝わりました。
高麗は訓読みで「こま」と読むことができたことから、独楽と名付けられたそうです。
もともと吉凶を占う道具として使われていましたが、江戸時代になると子供の遊び道具となりました。
独楽が上手く回ると縁起がよいとされました。
独楽という文字から、よく回ると子供の独り立ちが早くなるという意味もあったようです。
福笑いの意味

福笑いは、輪郭だけ描かれた紙の上に、目隠しをした状態で目、口、鼻などを置いていくお正月の遊びです。
目を隠して置いていくので、大抵の場合おかしな顔になってしまいます。
これをみんなで笑い合うのです。
このことから、笑う門には福が来るということわざのように福を招こうとしたのではないかと考えられています。
ニャン太
今やっても楽しい遊びはあるので、体験してみるとよいです。